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むし

虫

江戸川 乱歩

一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,053 字 · 86 页

青空文庫

予め計ってあったので、車が劇場の楽屋口に着いたのは、丁度芝居のはねる時間であったが、彼は運転手に待っている様に命じて置いて、車を降りると、楽屋口の階段の傍に立って、俳優達が化粧を落して出て来るのを、辛抱強く待構えた。彼は嘗つて、池内と一緒に、同じ様な方法で、芙蓉を誘い出したことがあったので、大体様子を呑み込んでいたのである。

その附近には、俳優の素顔を見ようとする、町の娘共に混って、意気な洋服姿の不良らしい青年達がブラブラしていたし、中には柾木よりも年長に見える紳士が、彼と同じ様に自動車を待たせて、そっと楽屋口を覗いているのも見受けられた。

恥しさを我慢して、三十分も待った頃、やっと芙蓉の洋服姿が階段を降りて来るのが見えた。彼は跪きながら、慌ててその傍へ寄って行った。そして、彼が口の中で木下さんと云うか云わぬに、非常に間の悪いことには、丁度その時、違う方角から近寄って来た一人の紳士が、物慣れた様子で芙蓉に話しかけてしまったのである。柾木はのろまな子供の様に赤面して、引返す勇気さえなく、ぼんやりと二人の立話を眺めていた。紳士は待たせてある自動車を指して、しきりと彼女を誘っていた。