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むし

虫

江戸川 乱歩

一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,053 字 · 86 页

青空文庫

五

話の内容はさして意味のある事柄でもなかったけれど、柾木にとっては、木下芙蓉の、うちとけて、乱暴にさえ思われる言葉使いや、その懐しい鼻声を、じっと聞いているのが、実に耐え難い思いであった。

彼はそうして、室内のあらゆる物音を聞き漏らすまいと、首を曲げ、息を殺し、全身の筋肉を、木像の様にこわばらせ、真赤に充血した眼で、どことも知れぬ空間を凝視しながら、いつまでもいつまでも立ちつくしていた。

五

それ以来、彼が殺人罪を犯したまでの約五ヶ月の間、柾木愛造の生活は、尾行と立聞きと隙見との生活であったと云っても、決して云い過ぎではなかった。その間彼は、まるで、池内と芙蓉との情交につき纒う、不気味な影の如きものであった。

凡そは想像していたのだけれど、実際二人の情交を見聞するに及んで、彼は今更らの様に、身の置きどころもない恥しさと、胸のうつろになる様な悲しさを味った。それは寧ろ肉体的な痛みでさえあった。池内の圧迫的な、けだものの様な猫撫で声には、彼は人のいない襖の外で赤面した程、烈しい羞恥を感じたし、芙蓉の、昼間の彼女からはまるで想像も出来ない、乱暴な赤裸々な言葉使いや、それでいて、その音波の一波毎に、彼の全身が総毛立つ程も懐しい、彼女の甘い声音には、彼はまぶたに溢れる熱い涙をどうすることも出来なかった。