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なべしまかいのかみ

鍋島甲斐守

吉川 英治

「オール讀物」文藝春秋、1936(昭和11)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,322 字 · 23 页

青空文庫

七

『はい、お気の毒ですが』

『お待ちくださらぬので』

『おいとま致します』

『彦兵衛どの!』

外へ出て来て、銀左衛門は、彼の袂をつかまえた。

『万一、あの目貫が、他人手に渡っては、われ等父子、御恩のある方へ、生涯あわせる顔もなく、又、せっかくお骨折くだされている仕官の口も、失うてしまわなければなりません』

『ご尤です、お察しはいたしますが』

『決して、元金利子共、一文も御損はおかけいたさぬつもり。それに、拝借した金子は二両、あの後藤彫の目貫は、少くも廿枚以上の品と承知しておる。それではあまり悪どいではないか』

『イヤ、ひどい蚊ですね、離してください。いちいち御尤さまで、はい、御尤で』

彦兵衛は、相手が怒りがいのない程、頭ばかり下げていた。

そして、逃げるように露地を出てくると、

『待てっ、人非人っ、もう一言いう事があるっ、待てっ』

追いかけて来る跫音がした。

七

『あっ……ひ、ひどい奴だ』

草履を両手に持って、彦兵衛は自分の家の台所へ馳けこんで来た。

『お高――水を取ってくれ。お高』

返辞がないので、自分で流し元へ足を入れて、ざぶざぶと泥足を洗い、裏口をきょろきょろしながら、暑いのに、戸を閉めて、心張棒をかってしまう。