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ぎょもん

魚紋

吉川 英治

「冨士 臨時増刊号」1936(昭和11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,582 字 · 30 页

青空文庫

『春作さん!』

お可久は、彼の繩を解いて、そして、手頸を引っ張るようにして叫んだ。

『おまえと暮しましょう。他国へ行って』

――だが、その時、永代橋を踏み鳴らして、ここへ一瞬に駈けつけて来た町方と捕手は、逃げかけるお可久を追いつめて、

『おふさ! もう汝の仮面はきかねえぞ』

と、高手小手に縛めてしまった。

その人々の騒々と云っている言葉を綜合してみると、お可久という名も、大名のお部屋様だったなどという事もみんな嘘で、ほんとは、日光山の中院の僧の隠し子で、土地の宿屋の娘という事になっていたが、性来の毒婦型の女で、家を飛び出してからは上方は勿論、長崎から諸国を流れあるいて、行く先々で、豪華な悪の生活をしていたという札付きの女であるらしかった。

春作は、裸足のまま、本所の家まで走ッて帰った。生きている顔いろもなかった。

戸を閉めきった儘、彼は、二日も外へ顔を出さなかった。けれど、彫兼のおやじが、その日も又、催促に来て、外から戸をたたいた。

『あ、描けているよ』

春作は、ふた晩も寝ていない眼をして、十数枚の画稿を、すぐそこへ持って来て渡した。

『え、ほんとですかい?』