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ちくしょうだに

ちくしょう谷

山本 周五郎

「別冊文藝春秋」1959(昭和34)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,788 字 · 138 页

青空文庫

「私はまえから、貴方の眼に気がついていました」と老人はやがて云った、「それで、こんなことをうかがうのですが、西沢半四郎という番士の方がおられるそうですね」

隼人は頷いた。

「その方のことはどうなのですか」

「なにか聞いたとすれば」と隼人は重い物でも持ちあげるように答えた、「それはただ、想像から出た噂にすぎない」

「ここでは噂は早く伝わります」と云って老人は隼人を見まもった、「――私は貴方の眼を見て、貴方が噂されるようなことをする人ではない、と思っていました」

それから老人は調子を変えて、隼人の考えていることは徒労に終るだろう、と云った。ずっと以前にも、ここの住民を解放しよう、という意見が出たし、住民たちにも、山をおりて新しい生活を始めるように、と説得したことがあった。しかしそれは、「住民たちによって拒否された」という。かれらは流人の子孫だという、抜きがたい先天的なひけめがあり、長い年月、山で孤絶した生活をして来たために、広い世間へ出ることに深い怖れを感じていた。

「実際にもそのとおりなのです」と老人は云った、「男は十七八になると、たいてい山をおりてゆきます、――これをここでは、ぬける、といっておりますが、おりていった者は消息不明になるか、または生活にやぶれ、年老いて、ただ骨を埋めるためにだけ帰って来る、というよう