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ちゃん

ちゃん

山本 周五郎

「週刊朝日別冊陽春特別読物号」朝日新聞社、1958(昭和33)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,377 字 · 45 页

青空文庫

手洗よ、というのが聞えたようで、重吉は戸口を出ながら、ああそうだよと云った。

お蝶を出てから「源平」で飲んだ。お蝶もそうだが、源平も毎晩寄らないときげんが悪い。もう十年ちかい馴染で、客の少ない晩などは奥へあげられ、長火鉢をはさんで盃のやりとりをする、ということも珍しくはなかった。かれら夫婦には子供がなく、店を二人きりでやっていて、いろけのない代りに、源平の庖丁とかみさんのおくにのあいそが、売り物になっているようであった。

重吉は二本ばかり陽気に飲み、そこでぐっと深く酔った。ほかに客が三人あり、源平は庖丁を使いながら、重吉のようすを不審げに見ていた。急に酔いが出たのは、まえの酒のせいで、重吉は源平の眼が気に入らなかった。へんな眼で見るなよ、と云おうとしたとき、お蝶がはいって来た。――お蝶はすっかり酔って、顔は蒼白く硬ばり、眼がすわっていた。彼女は源平とおくにに挨拶すると、重吉の脇に腰を掛け、彼の手から盃を取りあげた。

「お蝶さん」とおくにが云って、すばやく眼まぜをした、「――奥がいいわ」

「ええ、ありがと」とお蝶が答えた、「あたし、すぐに帰るんです」

「どうしたんだ」