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ちゃん

ちゃん

山本 周五郎

「週刊朝日別冊陽春特別読物号」朝日新聞社、1958(昭和33)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,377 字 · 45 页

青空文庫

重吉がお蝶を見た、「勘定なら気の毒だがだめだ、おらあ鐚も持っちゃあいねえんだから」

「お酌してちょうだい」

「ここも勘定が溜まってるんだぜ」

「お酌して」とお蝶は云った。

重吉が注いでやった一杯を飲むと、お蝶は燗徳利を取り、手酌で二杯、喉へほうりこむように呷った。

「あんたの顔が見たかったのよ、重さん」とお蝶は彼の眼をみつめながら云った、「――あたしくやしかった」

「客がいるんだぜ」

「あんなふうに云われて、なにか云い返すことはなかったの」お蝶のひそめた声には感情がこもっていた、「あんた云いたいことがあったんでしょ、そうでしょ、重さん」

「うん」と重吉はひょいと片手を振った、「云いたいことはあった、云い忘れちゃったが、よろしく頼むと云うつもりだった」

お蝶は黙って、じっと重吉の眼をみつめていた。短いあいだではあるが、その沈黙はまるで百千の言葉が火花をちらすような感じだった。

「はい」とお蝶は彼に盃を返し、酌をしてやってから、立ちあがった、「あたしね、あの人をひっぱたいてやったの、平手で、あの人の頬っぺたを、いい音がしたわよ」

重吉は盃を持ったまま、お蝶を見た。

「さよなら――」