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ひやめしものがたり
ひやめし物語
山本 周五郎
「講談雑誌」博文館、1947(昭和22)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,861 字 · 31 页
「鯉のあらいに御酒でございますね」
「そうだ、然しちょっと待って呉れ、あらいの値段は幾らだい、酒はどのくらいするのかね」
「さあ……」女中ははたと当惑した、「わたくし存じませんが、訊いてまいりましょうか」
「ああ訊いて来て貰おう」
この問答を聞いた小座敷の客は、もういちど微笑した。そしてなるべく気づかれぬように注意しながら、じっと大四郎のようすを見まもっていた。
女中はすぐ戻って来て、あらいと酒の値段を告げた。大四郎は安心したという風で、それから独りで飲み始めたが、盃を持つ手つきもぶきようだし、肴の注文がちぐはぐである。焼魚の次ぎに汁椀を取ったり、箸休めの小鉢の代りを命じたり、蒸し鳥のあとで、煎り鳥を注文したりする、そしてその一品ごとに必ず値段を訊くのである。こういうとひどくぶまで品の下ったように思えるが実際はそれとまったく反対で、ひじょうにおおらかで暢びりした感じが溢れていた。たいがいなら面倒がって厭な顔をする筈の女中が、寧ろ興がっているとさえみえるほど、愛想よく云われるままになっている、値段も書出しへいちどにつけて来ればよいものを、いちいち訊きに立った。