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ひやめしものがたり
ひやめし物語
山本 周五郎
「講談雑誌」博文館、1947(昭和22)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,861 字 · 31 页
「さる処でこの品を拾いましたので」家士が出て来ると、彼はこう云いながら紙入を差出した。
「御当家の名札が入っていましたからお届けにまいりました、どうかお受取り下さい」
「それは御迷惑でござりました、暫くお控え下さい」
家士は紙入を持って奥へいったが、代って出て来たのは主の中川八郎兵衛だった。読者諸君はもう河重の小座敷で面識がある、老人はあの時より渋くれたふきげんな顔つきで、まずじろりと咎めるように睨んだ。
「紙入を届けてまいったのは其許か」
「さようでございます」
「戻す……」こう云って老人は紙入を大四郎の手に返した、「これは受取るわけにはまいらぬ」
「然しお名札が入っておりますが」
「名札は入っておる、わしの紙入にも間違いはない、だが中の金が足らぬのだ」
「ははあ……」大四郎は老人の云う意味がよく解せなかった、「さようでございますか」
「この中には三両二分二朱ある筈だ、それが二両一分二朱しか無い、つまり差引き一両一分不足しておる」
「それはけげんなしだいですな」仕方がないので彼はこう云った、「申すまでもないと思いますが、私は中の金に就いてはなにも存じません、お名札を拝見したのでお届けにまいっただけですから」