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さんじゅうにこく
三十二刻
山本 周五郎
「国の華」1940(昭和15)年9~10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,273 字 · 31 页
「屋敷内にさような痴者が居ると思うか」
「かような事が出来しますれば、どのような事をも考えなければならぬと存じます。ことに小者たちの中には新参者も居りまするし」
六郎右衛門の言葉が終らぬうち、
「……御執事」
と叫びながら兵粮番小者がはせつけてきた。
「御執事まで申上げます。誰か庫屋の酒瓶を打壊した者がござります。過失ではござりません。五瓶とも石で叩割りましたので、酒は全部流れてしまいました」
茫然として、六郎右衛門は図書の顔を見た。図書は静かに頷きながら、
「よし、分っている」
と低い声で云った。
「……わしが壊せと申付けたのだ。勝祝いをする戦ではない。酒は不用だからそうさせたのだ。戻っておれ」
「はっ」
小者はただちに走り去った。
六郎右衛門には図書の心が分った。家士たちの気持を動揺させないためにそう云ったのである。しかし……火薬といい酒瓶といい、こう続けさまに変事が起るようでは、もう屋敷内に敵と通謀する者があることは疑いない。
「如何……如何計いましょう」
「なによりもまず」
そう云いかけて、図書の眼はふと奥の方へ向いた……静かに奥から、一人の女が出てきたのである。