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さんじゅうにこく
三十二刻
山本 周五郎
「国の華」1940(昭和15)年9~10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,273 字 · 31 页
六
――水盃。
そういう言葉が図書にふと思出された。
ずしん……ずしんずし……ずしん。頭から圧えつけられるような響きはまだ続いている。西の脇門の方では卒然と打物の音が起り、走ってゆく人の跫音と、互いに呼交わす叫びとが闇を縫って聞えてきた。
六
図書は再び眼の隅で宇女を窺み視した。
切迫する死を前にして、彼女がいつまで耐えられるか、その落着いた態度の、どこから恐怖が仮面を破るか、それを見究めてやろうというような、冷酷な視線であった……しかし宇女は依然として色も変えず、その唇のあたりには、むしろ微笑んでいるかと思えるほど、平明な表情が表れていた。
不意に四辺が静かになった。
人々はどきっとした。築地塀を突き崩す音が止んだのである……押被さるような重苦しい響きがはたと止んだとたんに、量り知れぬひろがりを持った一瞬の静寂が、まるでそれに代る響音の如く邸内の人々を押包んだのである。
「……どうした」
図書が思わず床几から立つと、物見にいた一人が走ってきて叫んだ。
「申上げます。寄手は人数を纒めて退陣仕りました」
「なに、陣払いだと」
「残っているのは見張りの者だけでござります」