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さんじゅうにこく

三十二刻

山本 周五郎

「国の華」1940(昭和15)年9~10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,273 字 · 31 页

青空文庫

家士たちの絶叫が聞え、わっというどよめきが屋敷の内と外とに巻起った……時に寛永十八年四月十九日酉の上刻であった。

押寄せた山脇の人数は二百人を越していた。彼等は三方から取囲み、鬨をつくって詰寄せたが、屋敷の中からは一発の銃声も一本の矢も飛ばず、また斬って出る様子もなかった。

むろん、急戦を期してきたのである。夕闇の迫ると共に、先手の一部は築地塀を乗越え、敢然と邸内へ斬込んだ……しかしその人々は、塀の内側に逆茂木の結ってあることを知らなかった。それをむざと跳下りた者の多くは、切殺いだ青竹に自ら突刺さって斃れたし、危くまぬがれた者も、待構えていた槍組の手で一人も残らず突伏せられてしまった。

図書は書院の床几を動かずにいた。

一台の燭が、色の黒い骨張った彼の横顔を、ちらちらと揺れながら赭く染めていた……その左側に宇女がいた。薙刀を伏せ、片膝をついたまま、これも石のように動かない。しかし全身の神経は図書の危険を護るために、弓弦の如く緊張していた。

「ここにいてはならん、退れ」

図書はなんども繰返して云ったけれど宇女は返辞もせず、動く気色もなかった。

やがて、西の脇門の方から、物を打壊す重々しい響きが聞えてきた……敵が築地塀を突き崩しに掛っているらしい。