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さんじゅうにこく
三十二刻
山本 周五郎
「国の華」1940(昭和15)年9~10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,273 字 · 31 页
なので、異った習慣に馴れつつこの人数の台所を預る苦心は大抵のことではなかった。
良人の主馬は中小姓であった。そして新婚半年にして、主君修理太夫義隆に侍して江戸へ去った。参勤の供だから一年有半の別れである。出立の前夜、彼は妻を呼んで云った。
――初めての留守だ、父上と家のことを頼むぞ。
その他にはなにも云わなかったが、良人から初めて聞く「頼む」という言葉は、宇女の心を強く引緊めた。
舅の図書とはそれまでほとんど接触がなかった。別棟になっている彼の居間へ朝夕の挨拶に出るだけで食事も身辺の世話も若い家士たちがしてきたのである……それが、主馬が江戸へ出立すると共に、急に宇女に命ぜられるようになった、なぜそうなったかということは間もなく分った。つまり初めから宇女を嫌っていた図書は、主馬の留守の間に彼女を疋田家からおおうとしたのである。そして宇女がそう気付くより先に、図書はそうする口実を握ってしまった。
――家風に合わず、主馬が帰藩のうえ仔細の挨拶をする。
という口上で、その年の霜月に実家へ帰された。数日後には持っていった荷物も返されてきた。
怒った嘉右衛門が何度も交渉したが、疋田ではすべて主馬が戻ったうえでと云って退かない。