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わすれのこりのき

忘れ残りの記

吉川 英治

吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页

青空文庫

けれど仕舞いには、見得も持っていられなくなり、カゴ虎の俥で、質屋通いもし初めた。その質屋へ、ぼくは一ど母に伴れられて行ったことがある。座敷へ通され、茶菓が出て、もてなされたので、ぼくは質屋というような通有的な感じはちっとも覚えないでいた。

すると、質屋の土蔵から幾個かのつづらが母の前に持ち出された。つづらにはよく朱漆で家の定紋が描かれてあったものである。丸に鷹の羽の紋だったから、子供心にも「おや、これは家のつづらだ」と怪しんで見ていた。質屋の主人番頭と、もひとりの商人らしい男が、長い時間をかけて、五個か六個かのつづらの中の衣服を全部開けて、綿密にしらべ出した。ぼくの眼にも覚えのある女の子たちの友禅物や母のよそゆきやら父の紋付袴やらが、何しろ座敷いっぱいになった。そして、ほとんど日も暮れ方になって「――奥さま、これはどうも、御相談どおりにゆきません」と、古着屋らしい商人の方が、母に何か説きつけていた。そのときの母のかなしげな顔と、悔いの色は、わけもなくぼくの胸までしめつけていた。

母はその帰り途に「だまされた……」と暗い顔に、涙さえ泛かべていた。