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わすれのこりのき
忘れ残りの記
吉川 英治
吉川英治『忘れ残りの記』。同一底本的分册已合并为一书。收入:忘れ残りの記、年譜。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 193,050 字 · 383 页
そして、ぼくへ「お父さんには黙っておいで、叱られるからね」と何度も云った。その日の事は、よく理解できなかったが、あとで母から聞かされた事に依ると、母が金繰りに困っているのを知って、例の知人の富樫夫人が、ごく親しいという古着屋を紹介してよこし、その古着屋が「月々、質の利息を払っていらっしゃるよりも、いっそお手放しになれば、まとまったお金になりますから」と、すすめる儘、その言葉に乗って、質物の総下見をしたのだった。けれど値踏みの結果は、とても質値以上には引取れないと云われ、あげくに質利子は、払わねばならないとあって、みすみす幾つづらの入質物を、全部ただ流しに取られてしまったということであった。
没落までの、こんな経過を書いていれば、それは、やくたいもない事ばかりだし、限りもないので、もうやめる。そして、これだけはぼく自身、忘れえないといっていい、わが家のさいごの日を書いてしまいたい。さいごの日というと、何だかすこし大げさだが、つまりぼくが、あんにゃもんにゃ時代の愉しい五、六年を過した赤門前の清水町の家と、それから高等四年までを学んだ南太田小学校を去って、もう二度と、そこでの日も、ぼくの少年期も、終りを告げる日となったときの記憶である。