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わがあいするしじんのでんき
我が愛する詩人の伝記
室生 犀星
北原白秋「婦人公論 第四十三巻第一号」1958(昭和33)年1月号<br>高村光太郎「婦人公論 第四十三巻第二号」1958(昭和33)年2月号<br>萩原朔太郎「婦人公論 第四十三巻第三号」1958(昭和33)年3月号<br>釈迢空「婦人公論 第四十三巻第四号」1958(昭和33)年4月号<br>堀辰雄「婦人公論 第四十三巻第七号」1958(昭和33)年7月号<br>立原道造「婦人公論 第四十三巻第八号」1958(昭和33)年8月号<br>津村信夫「婦人公論 第四十三巻第九号」1958(昭和33)年9月号<br>山村暮鳥「婦人公論 第四十三巻第十一号」1958(昭和33)年10月号<br>百田宗治「婦人公論 第四十三巻第十二号」1958(昭和33)年11月号<br>千家元麿「婦人公論 第四十三巻第十三号」1958(昭和33)年12月号<br>島崎藤村「婦人公論 第四十三巻第六号」1958(昭和33)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,728 字 · 231 页
それは原稿料というものをあれほど無邪気な作家達であっても、おれは幾ら取っているなどとは決して言わないのと同じくらいである。しかし藤村くらいになり春夫と犀星にたのめというのは、自分が書かないお弁茶羅みたいな言葉であり、後進を引き立てるにも役立つ有為の言葉のつもりらしかった。それよりもっと確かなことは、島崎藤村という大家にも、後進をたいせつにひいき目に見ていることと、それによって彼自身も幾らかの愉しさを感じることも、私にはうかがわれた。
私はこの話を三十五年後のこの頃の或る日に、横山美智子から聞いて、藤村の頭にちょっぴり私という作家が存在していたことが、かえり見て喜ばしかった。横山美智子からこの話をきかなかったら、私は何にも知らずにいたであろう。私はその折原稿を断ったのはあなたが十九歳の若さで、ふらふら婦人記者なぞなすっていらっしったから、そこらで原因不明のやきもちがあって、あんなに素気なくお断りしたのかも知れないといった。
藤村がいろいろな人から窮屈がられていたことは、藤村の文章のせいであり、むやみに大声で笑ったり人のきげんを取るがわの人でない、作家として相当我ままで自分のふだんのものを殺さないで、暮らしていたらしかった。