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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

11 第十一分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 186,659 字 · 372 页

青空文庫

「小兵衛小兵衛。……この道に、過りはあるまいな」

霧の中で、小兵衛の答える声がする。

「ご安心なされませ。加能越の山ざかいなら、眼をつぶっても歩ける小兵衛でございます」

「いま歩いているのは、一体、どの辺かの」

「六郎谷の下を、菅ヶ原の登りへ向っておりまする」

「左様な聞きつぬ山の名では、見当もつかぬが、加賀境へはいるのは、いつ頃か」

「まず今夜は、牛首峠のあたりで夜営をあそばし、明日、三国山をこえ、菩提寺山、興津峠などをすぎ、明後日の明け方あたり、鳥越城のうしろから、ふいにおかかり遊ばしたら、お味方の大勝利は、疑いもございません」

「思いのほか、日時がかかるの。さりとて、軍馬を疲らせては、戦いにのぞんで、充分な働きもなし得まい。……牛首とかには、夜営によい場所があるか」

「登れば登るほど、夜中はわけて、寒さもきつうなりますが、北をよけているよい平地が少しありまする。少々陽は高うても、夜霧に巻かれぬうちに、陣幕をお張りになるのが、良策かと思われます」

小兵衛のことばに従って、牛首峠の八合目あたりに、明るいうちから、野営にかかった。

虹色に染められた霧の気流がくるめく空に、黄昏れと、方角を知るのみで、やがて全軍は、山の見えない山の中に、ただ赤々と、火を焚いて、夜を更かしていた。