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しんしょたいこうき
新書太閤記
吉川 英治
08 第八分冊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 192,758 字 · 383 页
けれど秀吉の気持は、唐突を知って、ほんの小憩を求めに立ち寄ったに過ぎないのであるから、従者の弁当を調えさせ、自分も湯漬の馳走になって、一碗の茶を喫し終ると、
「世話になった。いずれ沙汰するであろう」
と、直ちにそこを出発した。
この頃となっても、夜はまだ明けきっていなかった。ただ目のまえの伊吹山の線がほのかな暁紅と薄浅黄の空にはっきり浮き出して見え、耳に小禽の声が聞かれて来たにすぎない。道の露はふかく、そして樹の下は暗かった。
住持のいいつけで、山にくわしいという若僧がふたり、わらじ穿きで、松明のさきに立ち、
「大吉寺まで御案内申しまする」
と、伊吹の腰へ上って行った。その僧が指していうには、
「伊吹に連なる彼方の山は国見といい、あのへんを東へ越えると、美濃の揖斐郡になります。――またこれから奥は草野ノ庄といい、むかし平治の乱に源義朝の父子が匿れたのもそこだと云い伝えられております」
秀吉は楽しげに見える。一歩一歩、母や妻に近づいていることを意識してであろう。道の嶮しさも身のつかれも知らない容子である。そして静かに明けて来た伊吹の西谷を行くほどに、ここはもう彼にとって母の懐かのような心地がするらしかった。