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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

08 第八分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 192,758 字 · 383 页

青空文庫

「それは、戦のときのことばよ。酒はのむが、大酒はようせぬ筑前じゃ。ゆるせ、ゆるせ」

「あはははっ。あはははっ」

腹の底から玄蕃は笑った。そして満座へ聞えよがしに、

「ひとの噂にたがわず、なるほど羽柴どのは謝り上手だ。まことに、お腰が低うていらせられる。むかし――二十余年前には、この清洲のお城で、馬糞を掃き、お草履をつかむ御小人であった時代もある。その頃をわすれぬためとか。さても殊勝なお心がけよの」

今日の羽振りをもつ秀吉を前において、これほどのことがいえる者は、この玄蕃を措いてほかにあるまい――と、みずから誇るかのような彼の放言だった。人もなげな哄笑であった。

はっとしたのであろう。

あちこちの談笑は急にやんで、人々の眼はみな玄蕃の姿にそばだてられた。

そして玄蕃の前にある秀吉の顔いろと、勝家の容子とを見くらべもして、

「すわ、また何事か起りはしないか?」

と、一瞬みな、酔いと杯を忘失していた。

秀吉はにやにやと玄蕃を見ているのみである。四十七歳の眼から、二十九歳の若さを見やっている眼であった。

いや年齢差だけでなく、秀吉が生れて二十九年をかぞえていた頃の人生と、玄蕃盛政が経て来た二十九年の歩みとでは、その境遇でも心態でも、たいへんなちがいがある。