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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

ところが考察をすすめるに従って仏教思想がいかに根深くこれらの時代の日本人の精神生活の根柢となっているかを見いだし、仏教思想の大体の理解なくしては考察を進め得ざるに至った。そこで自分はシナ仏教の理解によって、それがいかに日本人に受容され、いかなる意味で鎌倉時代の新運動となったかを理解せんと志したのであったが、シナ仏教の理解はインド仏教の理解なくしては不可能であり、結局原始仏教以来の史的開展を理解することによってのみシナ日本における仏教思想の特殊性が理解せられ得るものであることを悟るに至った。自分はかかる理解を、権威ありとせらるる先輩の著書によって得ようと試みた。が、不幸にも自分は自ら根本資料について研究すべき必要に押しつけられた。それは最初の目的にとってははなはだまわり道であるが、しかしこれを理解せずには考察を進め得ないと悟った以上、まわり道であっても仕方がない。のみならず学問としては日本精神史を明らかにするのも仏教思想を明らかにするのもその間に軽重の差があるとは思えない。かくして自分は日本精神史の叙述からは横道にそれ、右の諸論文は手を触れらるることなく数年間捨て置かれた。