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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

が、道元の帰って来た京都は、決して平和な都ではなかった。公家の階級においては男も女も生活の不安のゆえにただ放縦にのみ走る。子弟の或る者は博奕にふけり群盗に伍している。摂政関白の子さえもそうである。市中は盗賊横行のために無警察の状態に陥った。捕うるに従って斬るという高圧的な武士の警備手段もほとんどその効がない。夜ごとに放火、殺人、掠奪が行なわれる。皇室の宝物さえもしばしば掠奪を受けた。皇居もついに焼かれた。「朝廷之滅亡、挙レ趾可レ待」[朝廷の滅亡、趾を挙げて待つべし]である。

かくのごとき京都に帰った道元は、まず先師の寺建仁寺に入った。そうして法門を問う多くの人に、「非義も過患も」とがめずして、「ただありのままに法の徳を」語った。が、当時の建仁寺は彼を安住させなかった。彼は後に財宝と淫語とに関する言説において、悪しき例として建仁寺を引いている。

彼はいう、――学道の人は最も貧でなくてはならぬ。世人を見るに、財ある人は必ず嗔恚恥辱の二つの難に逢っている。財宝あれば人がこれを奪い取ろうとする、取られまいとすれば嗔恚がたちまちに起こる。所有の権利を説き奪掠の不義を論じて、ついには闘争合戦に及ぶのである。