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にほんせいしんしけんきゅう

日本精神史研究

和辻 哲郎

推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页

青空文庫

彼の主著『正法眼蔵』の第一章は、この廃院において、右のごとき社会的環境の下に、書かれたのであった。彼は序していう、――自分は宋より帰って真理を弘め衆生を救うのを念とした。肩に重荷を置いているようである。しかしながら自分は今、伝道のこころを放下しようとする「激揚の時」を待っている。だからしばらく「雲遊萍寄」して、ここに先哲の風をまねようと思う。が、真実の求道者が邪師にまどわされているのは見るに堪えない。それをあわれむゆえに自分は大宋国の禅林の風を記しておこうとするのである(正法眼蔵弁道話)。かくて彼は、坐禅による仏法の正門、身心脱落によって得らるる天真の仏の真理を説いた。これが彼の真理王国建設の努力の第一歩であって、彼三十二歳のときである。

廃院の生活がいかに推移したかは知る由がない。しかし少数ながらも有為なる弟子が彼のもとに集まり始めたことは事実であろう。三十四歳のときには、同じ深草の極楽寺の旧趾に一寺を建立して喜捨しようと企てた尼僧があった。で、そこへ移った。『正法眼蔵』の第二はこの年の夏安居に「衆に示した」ものと記されている。また第三はこの年の秋に「鎮西の俗弟子楊光秀」