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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页
しかしそれによって無仏性の語に対する彼の見解は明らかに現わされていると思う。
狗子還有二仏性一也無[狗子にまた仏性有りや無や]の問答についても同様の事が言える。「犬は仏性があるかないか」、趙州曰く「無」、「一切衆生は皆仏性があるのに犬はなぜ無いか」、趙州曰く「為三佗有二業識在一」[佗に業識の在ること有るが為なり]。――これも表面の意味通りに取るのが必ずしも間違いとは言えない。しかし道元は次のごとく解している。この僧はもともと犬に仏性が有るか無いかを問うているのではない、仏性は犬の内に有無を論ぜらるべきものではないのである。彼はただ「鉄漢また学道するか」と問うている。すなわち犬に事よせて、仏性は所在を有つかどうかの問題を考えているかときくのである。ところで仏性は悉有である、従って所在を有たない、そこから趙州の「無」という答えが出る。僧はさらにこの「無」に引っかけて、一切衆生が無であるならば仏性も狗子も無であるだろう、その意義いかんと問う。「犬や仏性は、もし無であるならば、お前が無と言わなくとも存在し無いはずだ」という意である。趙州は答えていう、為佗有業識在。