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にほんせいしんしけんきゅう
日本精神史研究
和辻 哲郎
推古時代における仏教受容の仕方について「思想」1922(大正11)年7月<br>仏像の相好についての一考察「思想」1922(大正11)年5月<br>『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について「思想」1922(大正11)年8月<br>お伽噺としての『竹取物語』「思想」1922(大正11)年11月<br>『枕草紙』について「思想」1922(大正11)年9月<br>『枕草紙』の原典批評についての提案「思想」1922(大正11)年9月<br>『源氏物語』について「思想」1922(大正11)年12月<br>「もののあはれ」について「思想」1922(大正11)年10月<br>歌舞伎劇についての一考察「思想」1922(大正11)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 208,277 字 · 415 页
数十年の修行功夫によって道得した場合、その数十年の功夫はその道得にとって必須のものであり、従ってその道得は数十年来間隙なく持続していたと言える。修行の中途に得た見解はまだ道得ではないが、道得した時その中に生きている。今の道得が右の未道得の見解を内に具えているとすれば、その見解なくしては今の道得は起こり得ない。しからばその未道得の見解は、すでに今の道得を内にそなえていたのである。いわばこの到着点たる道得が、すでに出発点に存し、一切の修行、一切の見解を導きつつ、結局それ自身に還ったのである。「道得おのづから功夫となり尽力道得す」と言い、「いまの道得とかのときの見得と一条なり、万里なり」というのは、確かに右のごとき意味を示す言葉に相違ない。かく道得がイデーのごとき働きをするものとすれば、この道得の働きとして現われる功夫は、道得が内より産み出す開展の過程であるほかはない。「いまの功夫、すなはち道得と見得とに功夫せられゆくなり」という言葉は、恐らくそう解すべきものであろう。達せらるべき道得を内に具えた一つの見解が、その道得に呼び出されて現われてくる。しかしそれはまだ道得でない。