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ぶしゅうこうひわ

武州公秘話

谷崎 潤一郎

01 武州公秘話

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,572 字 · 209 页

青空文庫

聞けばあの事件があってからと云うもの、殿様はついぞ一度も家来共に対面されたことがないと云う。尤も上段の間の御簾のかげまでお出ましになって、とき/″\臣下にお言葉の下ることはある。しかし仰っしゃることが一層微かで聴き取りにくゝなり、声音も多少変っているので、換え玉ではないかと云う疑いを抱く者があり、自然不吉な臆測を廻らす者も出来て来ると云う始末。そうなると河内介も、自分の手術の結果について不安を感ぜずにはいられなかった。あれだけ血止め薬を塗って、豫後の手当をして来たのだから、まさかとは思うものゝ、幹部級の五六人と側近者の二三人が真相を握っているのみで、家中一般の人々は誰も殿様の確かに生きている證拠に接しないのである。河内介は、せめて則重の無事な顔、―――いや、無事な姿を見、その顔面の損傷の程度を知り得たら、それに依って夫人の満足さ加減を推し測り、彼女の眼元に浮かべられる邪悪な微笑を妄想に描いて、幾分か渇を癒やすことが出来るのにと思うと、則重の鼻のない顔も夫人の顔と同じように恋い慕われて来るのであった。

此のとし、天文二十四年は十月に改元があって弘治元年となり、織部正の身に厭な災難がつゞけざまに見舞った一年も過ぎて、明くれば弘治二年丙辰の正月となったが、参賀の諸侍が初春の祝儀を述べても、御簾のうちからお盃を下さ