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ふとん
蒲団
田山 花袋
「新小説」春陽堂書店、1909(明治40)年9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,870 字 · 90 页
又一面にはこれほどその為めに尽力しているのに、その好意を無にして、こういう決心をするとは義理知らず、情知らず、勝手にするが好いとまで激した。
時雄は胸の轟きを静める為め、月朧なる利根川の堤の上を散歩した。月が暈を帯びた夜は冬ながらやや暖かく、土手下の家々の窓には平和な燈火が静かに輝いていた。川の上には薄い靄が懸って、おりおり通る船の艫の音がギイと聞える。下流でおーいと渡しを呼ぶものがある。舟橋を渡る車の音がとどろに響いてそして又一時静かになる。時雄は土手を歩きながら種々のことを考えた。芳子のことよりは一層痛切に自己の家庭のさびしさということが胸を往来した。三十五六歳の男女の最も味うべき生活の苦痛、事業に対する煩悩、性慾より起る不満足等が凄じい力でその胸を圧迫した。芳子はかれの為めに平凡なる生活の花でもあり又糧でもあった。芳子の美しい力に由って、荒野の如き胸に花咲き、錆び果てた鐘は再び鳴ろうとした。芳子の為めに、復活の活気は新しく鼓吹された。であるのに再び寂寞荒涼たる以前の平凡なる生活にかえらなければならぬとは……。不平よりも、嫉妬よりも、熱い熱い涙がかれの頬を伝った。