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わたしのしごと しょうこうのしごと
青帛の仙女
上村 松園
上村松園『青帛の仙女』。同一底本的分册已合并为一书。收入:私の仕事 松篁の仕事、わが母を語る、明治懐顧、昔尊く、古い記憶を辿って、芙蓉の花にも似た美しい楊貴妃を、冷かされた桃割娘、日本画と線、土田さんの芸術、栖鳳先生を憶う、随想、三味線の胴、今日になるまで、芸術三昧即信仰、砧、北穂天狗の思い出、寛政時代の娘納涼風俗、女の顔、想い出、帯の巾が広すぎる、大田垣蓮月尼のこと、絵筆に描き残す亡びゆく美しさ。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 28,693 字 · 68 页
その時分、家の商売は葉茶屋でございまして、二人の子供を抱えた若い後家の母は女手一つで私達を育てて呉れました。
明治二十年、十三歳で私は小学校を終えますと、どうしても絵が描きたく、母にせがみまして、その頃京都画壇再興の為に出来ました画学校に入れて貰いました。河原町御池、今の京都ホテルの処に建物がありまして、土手町の府立女学校校長を兼ねました吉田秀穀という先生が校長で、生徒は百人余り、組織は東西南北の四宗に別れていまして、東宗は柔らかい四条派で望月玉泉先生、西宗は西洋画で田村宗立先生、南宗は巨勢小石先生、北宗は力のある四条派で鈴木松年先生がそれぞれ主任でした。私はこの北宗の松年先生に師事致しました。女学生は私の他にも各宗に二人位ずつ居られましたが、何れも途中から姿を消してしまい、ただ前田玉英さんだけが残りまして、その後玉英さんは女学校の絵の先生になられたようにうかがって居ります。
これを見ましても、当時女の身で、絵の道を立て通す事が如何に困難であったかがわかると思います。
それについて、私はいまでも時々思いだしまするが、私の姉に縁談のありました時、母はかような事はあまり信じない方でしたが、親類達がやかましく言いますので、その当時建仁寺の両足院にお名前は忘れましたが、易の名人がいやはりまして、姉の縁談を占っ