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かぜ

風

壺井 栄

「文芸」1954(昭和29)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 38,702 字 · 78 页

青空文庫

はじめてなので茂緒はぼうとなってしまった。いっさいの過去も未来も忘れた、夢のような時がたった。やがて、花嫁は恥かしさと自己嫌悪で少し不機嫌になり、同じように少しゆううつな花婿に抗議的な口調で、

「こんなことって、あるかしら。恥かし。」

「あたりまえですよ。」

「なんだか、へんな気もち。これでいいのかしら。」

「いいも悪いも、ないじゃないの。」

なんというかんたんな解決であろう。それは長い年月のもたもたが一瞬に晴れたようなふしぎさだった。ようやく気もちの平静をとりもどしてみると、家の中はだだびろく、バスケット一つが嫁入道具だった。

「金策がうまくゆかなくてね、下宿へ荷物とりにいけないんだ。四五日さきにする。」

修造は照れくさそうに頭をかいた。ほんとうの下宿というのはその町名のめずらしさで、茂緒もおぼえている戸塚源兵衛の方で、そこで食事まで止められた彼は、本郷の友人の部屋に居候をしていたのだという。茂緒はおどろき、あきれ、すぐにはものも言えなかった。

「大丈夫だよ。結婚したからにはぼく、すぐ仕事さがすからね。」

「わたしも、仕事さがしますわ。ふたりで働いて、ちゃんと暮しましょうね。