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かぜ
風
壺井 栄
「文芸」1954(昭和29)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 38,702 字 · 78 页
著名な作家の小説を、十五字詰めの原稿紙に書きうつす仕事だった。うすい上質の原稿紙に複写紙をはさんで、一度に四通りの原稿を作るのだ。その原稿は、一度Kの通信社に買われ、いくつもの地方新聞に発表されたもので、それをさらに、別の新聞社からの注文に応じて、茂緒が書きうつしているのである。茂緒がみて書く原稿はいつも新聞の切りぬきだった。書きながら茂緒は、いつかその物語によみふけっていたりした。徳田秋声のもあった。白石実三という名もそれでおぼえた。茂緒はふっと、自分の心の中にうずくまって、もぞもぞしているものを見つめ、ひそかにそれを温めて楽しんだ。三人の中では扶佐子がひとりにぎやかだった。女の幸福を一身に背負ってでもいるようにはしゃいで、わざとらしく身ぶるいまでして夫をほめたたえたりした。しかし茂緒はひそかに、ほんとかしら、と思う。円転滑脱とでもいうのだろうか。扶佐子は感情を自由自在に駆使して泣くことも上手だった。
ほのかに ほのかに さびしゅうて
あつい なみだが おちてくる
となりあった勝手口で、おたがいに主をまつ夕餉の支度をする、そのN家の台所からまな板にあわせて哀調をおびた流行歌が聞こえてくる。