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あるはいまつのどくはく
ある偃松の独白
中村 清太郎
線上閱讀中村 清太郎《ある偃松の独白(あるはいまつのどくはく)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 132,905 字 · 262 頁
嘉々堂谷、三名引谷、みな似よった支谷だ(この地方では谷を「タン」と発音する)。大支流、黒薙川の落ち合うあたりでは、本流の両崖が、幾枚折りかの大屏風のように屈曲して、河身はそのひだからひだへ、背をすりつけつつ奔下するところ、やや特異の観を呈する。ところによると、透明な無量の流水は、せまい谷底に押しあい、ひしめき、盛り上り……とろりと膏気のありそうな肌をさらして、しかも恐ろしい沈黙のうちに過ぎ去る。そうした水に枕んで、仏岩という巨岩がそびえ、それに寄せてささやかな休み茶屋がある。壁にかかったいろいろな獣の皮が、主じの生業を物語っている。石仏と獣の残骸の皮肉な対照も、荒谷の大構図の中での一小点景にすぎない。
黒部谷には実に温泉が多い。黒薙川には黒薙、二見があり、本流には鐘釣があって、それぞれ宿を営なんでいるが、その外に無人の温泉は、どれほどあるか分らない。恐らく旅人は、夏のこの谷道で、幾人かの浴客にあわないことは稀だろう。えぐったような危うい岩壁の細路で、思いもかけぬ女子供を交えた一と群れと、顔を合わすこともある。いずれも甲斐々々しい旅姿で、ある者は霊験ある山奥の出湯にやまいをなおしてもらおうと、一心にたどるもあり、あるいは楽しい入湯を終えて、家路をさして急ぐもあろう。