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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

線上閱讀山本 周五郎《樅ノ木は残った(もみノきはのこった)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 頁

青空文庫

「すぐに屋敷へお帰りか」と甲斐は主水に呼びかけた。

「そのつもりです」

「もしほかに用がなかったら、案内をしてもらいたいところがあるのだが」

主水は訝しげに甲斐を見た。

「歩いて下さい」と甲斐が云った、「千本杉とかいうところをご存じでしょう」

「知っています」

「そこへゆきたいのだが、人に見られては困る」と甲斐が云った、「どこで待ち合わせたらいいか、考えて下さい」

二人は詰御門から出て、鼓楼のほうへと、ゆるい坂道を歩いていた。

「長徳寺を知っておいでですか」

「川向うですね、知っています」

「あの境内がいいと思います」と云って、主水は甲斐の表情をうかがった、「しかし、どうしてあんなところへいらっしゃるのですか」

甲斐はその問いには答えずに、一刻のちにそこで会おう、なるべく人眼につかぬようにと云い、鼓楼の前で主水と別れた。

もう午後三時に近いだろうが、乾いた道の小砂利から、かげろうの立つほど、陽ざしが強く、到るところの樹立で、蝉がやかましく鳴ききそっていた。時刻が時刻なのであたりに人の姿もなく、土堤の斜面に六七人、庭方の小者らしい男たちが芝を刈っていた。甲斐は扇子で陽をよけながら、寅ノ門をぬけて、大手門のほうへゆっくりと歩いていった。