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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

線上閱讀山本 周五郎《樅ノ木は残った(もみノきはのこった)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 頁

青空文庫

それがいまは変った。

「貴方ともある人が」と甲斐は眼をつむり、安芸その人に呼びかけるように、口の中でそっと呟いた、「――毒害の密告などまで、信ずるようになられたのですか」

向うの座敷から、三味線と唄の声が聞えて来る。忍びやかではあるが、張りのある澄んだ音色で、うたう声も低く、咽び泣くような哀調を帯びていた。

「周防、――新左衛門」と眼をつむったままで甲斐は囁いた、「七十郎、里見十左、そして丹三郎、――残ったおれは、ひどい貧乏籤を引いたようだな」

おくみが新らしい銚子を持ってはいって来たとき、甲斐は静かに飲んでいた。

「あの唄は新八だな」

「はい、お座興にと云っています」とおくみが云った、「でもお耳障りなら、やめさせましょうか」

「聞いてやろう」と云って、甲斐はおくみに盃を差した、「飲まないか」

おくみは訝しそうな眼をした、「どうなすったんですか」

「飲まないかというのだ」

「だってまだ、かよさんを寝かさなければならないし」云いかけておくみははっとした、「お屋敷へ、お帰りになるんですか」

「魚籃の中の魚だからな」

「お帰りになるんですのね」

「魚籃から出るわけにはいかない」