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たまものまえ

玉藻の前

岡本 綺堂

線上閱讀岡本 綺堂《玉藻の前(たまものまえ)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 130,703 字 · 261 頁

青空文庫

きょうももういつの間にか暮れかかっていた。

「千枝太郎、きょうは朝から誰も見えぬか」

「誰も見えませぬ」

「関白殿よりお使いもないか」

「はい」

千枝太郎は伏し目になって師匠の顔色をうかがうと、燈台の灯に照らされた泰親の顔は水のように蒼かった。

「大切の祈祷を仕損じた泰親じゃ。重ければ流罪、軽くとも家の職を奪わるる。その御沙汰がきょうにもあるべき筈じゃに、今になんのお使いもないは……」と、泰親は頭をかたむけた。「人は何ともいえ、雨乞いの勝ち負けなど論にも及ばぬ。ただ無念なは我が秘法の敢えなくも破れたことじゃ。七十日の祈りもしっかい空となって、悪魔が調伏の壇にのぼって勝鬨をあぐるとは、しょせん泰親の法もすたった。上に申し訳がない、先祖に申し訳がない。左大臣殿や少納言殿にも申し訳がない。この上はただ慎んで罪を待つよりほかはないのじゃが、いかに思い返しても唯このままに手をつかねて、悪魔の暴ぶるをおめおめ見物するのは、国のため、世のため、人のため、なんぼう忍ばれぬことじゃ。泰親を卑怯と思うな。未練と思うな。泰親の命は疾くに投げ出してある。しかしもう七十日無事でいて、命のあらんかぎり二度の祈祷をしてみたい。