輕讀日語

輕鬆讀懂日語經典作品

ja-reading.com

輕鬆讀懂日語,輕鬆閱讀日語。線上閱讀日語經典作品。支援在閱讀過程中顯示假名、查詢生詞、翻譯句子。

しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

線上閱讀吉川 英治《私本太平記(しほんたいへいき)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 頁

青空文庫

とかくするうち。後深草は崩ぜられ、亀山上皇も御逝去られた。さらに後二条も、在位わずか五年で夭折され、かねての皇太子、富仁親王が御位についた。これを、

花園天皇

と、申しあげる。

次いで、つぎの皇太子には。

大覚寺統の後宇多の御子、尊治親王がすえられた。――この君尊治こそ、すなわち、

後醍醐天皇

であって、皇太子となったのが二十一。帝位につかれたのが三十一。歴代、幼少天皇ばかりつづいて来たあと、珍しくも、思慮経験もゆたかな、壮年天皇の出現をここに見たわけだった。

帝位の十年交代制は、代をかさねるにしたがって、当然、むりな形になってくる。

皇太子の冊立にあたって、正嫡だけを立ててはゆけない。弟流のまた弟流など、枝に枝を生じて、すでに、後醍醐の世には、朝廷内の臣も事実上、四君四派にもわかれていた。

持明院統には、後伏見、花園の二上皇があり、大覚寺統にも、後宇多、後二条の両院が在すといったふうに。

が、後醍醐のみは、長い皇太子時代において、半民間的な自由生活もして来た御経験などもあるので、とくに考え方もちがっていた。

「皇統の選びなどは、わが家のことに過ぎん。