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しんぺんちゅうしんぐら

新編忠臣蔵

吉川 英治

Read 新編忠臣蔵 (しんぺんちゅうしんぐら) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 337,181 characters · 676 screens

Aozora Bunko

唯、唯、唯。

何としても掻き消えない一点の心残りは、かほど犠牲を抛ったひと太刀も、空しく、あいてを逸して、どうやら、浅傷の程度に過ぎないことだ。

多門伝八郎という心ある武士は、自分の心情を見抜いて、吉良の容態を、

(養生はかなうまい)

と云ってはくれたが、江戸城からここへ移る迄の間、幽室の壁も、密閉された駕籠も、自分の全神経そのものとなって、諸士の気勢や囁きを聴きすまして居たのである。吉良が、つつがなく退出したこと、御前ていもよく、見舞の典医まで派遣された事――。なんで分らずに居るであろうか。

『残念……』

呼吸のある限り、その一念だけは何うすることもできなかった。聖でも君子でもない。凡人の煩悩である。

『挨拶人、居らるるか』

囲いの外へ、声をかけると、

『これに居ます。何ぞ御用でござるか』

田村家の生田孫惣が外から云う。

『されば、生前に、家来共へ、一書つかわしたく思うが、苦しゅうはあるまいか』

『お待ちを』

と、返辞が途切れて――暫くしてから、

『唯今の願い事、主人一存にては、取り計らいかねる由でござる』

と、膠もなく、突っ刎ねた。

『……では』

内匠頭は、唇を噛んだ。