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しほんたいへいき
私本太平記(一)
吉川 英治
Read 私本太平記(一) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 246,214 characters · 495 screens
高氏は思いあたった。
「――これが道誉の馳走だったのか。何やらこの高氏へ見せるものがあるはずと、最前太守も彼にむかって、何か謎めいたことをいわれていたが」
しかし、これは安易なひとり合点と、まもなく、分った。
終始、笑いどよめきのうちに、八番が終って、また、一トしきりは満座歓宴の乱れだったが、ほどなくまた新しい拍手の波に、高氏もふと舞台の方を見ると、そこには、金モミ烏帽子、水干衣姿の白拍子が、両の手に振鈴を持って、忽然と、咲き出た物のように立っていた。
藤夜叉であった。
「…………」
高氏は、ぎょっとして、仮面のようにその顔を硬めた。
視線をそろえて、登子も舞台の藤夜叉を見すましているに違いなかろう。また、道誉の底意のある眼が、太守高時の蔭から、自分の表情を、見ぬ振りしつつ見ているようにも思われる。
「…………」
しかも、板の上の藤夜叉は、まだ一ト振りの鈴も鳴らさず、足も踏まず、その白い白い舞台顔は、泣くかのような眉をしていた。
振鈴が鳴り、それにつれて、舞台の彼女はいつか水のごとき舞の線を描き出している。
延年舞の似セ舞らしい。――ふるえをおびた祝歌の歌詞が、とぎれとぎれ、高氏の耳へ流れこむ。