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しほんたいへいき
私本太平記(一)
吉川 英治
Read 私本太平記(一) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 246,214 characters · 495 screens
そして、やおら近づくとたんに、
「弱法師、お気をたしかに」
と、高時の前に、大手をひろげて立ちふさがった。
さすが物狂いの人も、はや息を切らした態である。「――しゃっ、推参っ」と叫んだようだが、その声音もカスれていたし、薙ぎ上げて来た刃にも、魔力はなかった。
高氏は、ばッと相手の肩先を撲たきつけ、彼が泳ぐところを逆に抱き止めた。そしてその姿勢のまま、大きく一呼吸したとおもうと、足もとしどろに舞拍子をトントンと踏み鳴らし初めたのである。おそらく高氏自身の大酒の酔も、このとき、その極に達していたのだろう。突として彼の口から、田楽歌の“弱法師”がよろよろ歌われ出していた。
――天王寺の弱法師
よろぼふし
夜々の通ひは何方ぞ
知るまじとて
木々は知る 露は知る
如法暗夜にも一眼あり
鞍馬おろしも誘ふ
魔界外道の谷はここ……
ふと、うつつに返ってか、高時もすぐ日ごろ好む田楽歌の節に誘われ出していた。高氏の足拍子につれ、薙刀の手振りもおもしろげに、舞いつつ歌いつつ、興に乗って踊り狂った。
「オオ、お気がつかれた」
家臣たちは、狂喜した。憑かれた者が憑かれた者を歓呼した。俄に、四方の闇へ向って。