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しほんたいへいき
私本太平記(一)
吉川 英治
Read 私本太平記(一) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 246,214 characters · 495 screens
彼の言で、いきさつはすべて、明瞭になった。それにつけ、返す返すも残念なのは、先に、渓流のほとりで見かけた京の公卿侍といっていた奴、あれこそ今切藤五であったに違いなかったものをと、人々は地だんだ踏んだ。
「まだ遠くはないぞ、追っかけて引っ捕えろ」
一手の者は、ただちに藤五の行方を追跡し、他の者は、あなたこなたと、草心尼母子の姿を捜しにかかッた。
ところで、この恐怖の半刻を、一方の草心尼と覚一は、どこでどう凌いでいたのか。
ふたりは、まっ暗な真空の中に、一ツ体みたいに抱き合っていた。しょせん逃げおおせぬとあきらめてか、途中、小さい破れ堂を見かけるやいな隠れこんで、内から御堂格子を閉じていたのだった。
覚一は、妄想スル莫レを念じ、尼の唇は自然に、“地蔵菩薩本願経”を糸のような小声で唱えていた。――いつか外に、チチチチと、小鳥が明けを告げていたのも耳になく。
覚一は、ふと。
「おや、小鳥の声だ。お母あさま。夜が明けたんでしょ」
「そう。まだ暗いが」
「ああ。……恐かった。でも、もう大丈夫でしょ。これであらしは過ぎたかもしれません。けれど、ゆうべのあの様子では、八郎太か藤五か伝次か、誰かがきっと死んでいますよ」