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しほんたいへいき
私本太平記(一)
吉川 英治
Read 私本太平記(一) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 246,214 characters · 495 screens
酒板に頬杖ついて眺めつつ、彼の酔眼にはその犬が、だんだん、北条高時その人みたいに見えてきた。
高時が、鎌倉御所のうちで、そうであるように、この犬も、武者足軽の群臣をしたがえ、旅路にも持ち歩かせているらしい高麗縁の半畳を土間に敷かせ、その上へ、ゆったりと、尻をすえているのである。
首輪は太縒の紅白の絹づな、銀のかざり鎖。わきには、布直垂の犬飼が二人、主に仕えるごとく付添っていた。そしてここへ着くやいな、犬殿への供御の物を、まず第一にと、ささげていた。
「…………」
滑稽である。じつにおかしい。おそらく又太郎には、犬好きな執権の有名なる犬痴性が、この奇妙な実在によって、よけいおかしく思い出されていたものだろう。
現執権高時の田楽(土俗的な歌舞)ずきも、狂に近いが、闘犬好みは、もっと度をこしたものである。鎌倉府内では、月十二回の上覧闘犬があり、武家やしきでさえ闘犬を養って、それを美食で肥えさすのに、憂身をやつさぬ者は少ないとか。だから名犬といえば、銭百貫から数百貫の高値をよび、わけて高時自身の愛犬が、あまたの家来に護られて道を行けば、往来人は笠をぬいで、路傍にひざまずくといった風な奇観も珍しくはないという。