Japanische Klassiker mit Furigana
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たでくうむし
蓼喰う虫
谷崎 潤一郎
Lesen Sie 蓼喰う虫 (たでくうむし) von 谷崎 潤一郎 (たにざきじゅんいちろう) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 110.066 Zeichen · 216 Bildschirme
「あたし一と幕だけ見たら帰るわよ」
と、彼女は木戸口を這入りながら、そこまでびんびんと響いて来る時代後れな太棹の余韻に反抗するような気持で云った。
茶屋の女に送られて芝居小屋へ来ると云うことが、既に何年ぶりであろう。要は下駄を脱ぎ捨てて足袋の底に冷めたい廊下のすべすべした板を蹈んだとき、一瞬間遠い昔の母のおもかげが心をかすめた。蔵前の家から俥の上を母の膝に乗せられて木挽町へ行った五つか六つの頃、茶屋から母に手を曳かれて福草履を突っかけながら、歌舞伎座の廊下へ上るときがちょうどこんな工合であった。子供の彼は矢張足袋の底に冷めたい板の間を蹈んだ。そう云えば旧式の芝居小屋は木戸口をくぐった時の空気が妙に肌寒い。いつも晴れ着の裾や袂からすうッと風が薄荷のように体へ沁みたのを未だに記憶しているが、その肌寒さはあたかも梅見頃の陽気の爽やかさに似てぞくぞくしながらもここちよく、「もう幕が開いているんですよ」と母に促がされて小さな胸をときめかせつつ走って行ったものであった。
けれども今日の寒さばかりは廊下よりも客席の方がひとしおで、夫婦は花道を伝って行くときに何とは知らずに手足が引き締まるような気がした。