Japanisch lesen

Japanische Klassiker mit Furigana

ja-reading.com

Lesen Sie japanische Klassiker online mit Furigana. Filtern Sie nach JLPT-Niveau, tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung und übersetzen Sie einen Satz.

ぶっきょうじんせいとくほん

仏教人生読本

岡本 かの子

Lesen Sie 仏教人生読本 (ぶっきょうじんせいとくほん) von 岡本 かの子 (おかもとかのこ) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.

N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 124.886 Zeichen · 246 Bildschirme

Aozora Bunko

何遍でもあるはずだ。それはちょうど、竹の節を抜いて行くようなもので、節の一抜き一抜きに人生観は広げられて行くと説くのであります。この例としては、徳川時代の臨済禅の傑僧白隠禅師がよく引合いに出されます。禅師は信州飯山で正受老人の指導によってさとられた以外、大悟小悟その数を知らずと自記されております。

さとりは全然不必要だと主張するのは、鎌倉時代に起った新興仏教の法然、親鸞、日蓮等の諸宗祖の見解で、これを述べる前に、曹洞禅の中のあるものの説くさとり不必要論を紹介しますと、さとれるようなさとりは小さなものだ。無限の生命をさとるのは、ただ黙ってそれに従って行くところにある。今さらそれを認識するとか、しないとか言うのは小さな問題だ。私たちは修業さえしていれば、さとろうと、さとるまいと、修業そのものが無限の生命上の歩みだ。こういうのであります。これは道元禅師の言われた修証不二(修業とさとりとは一つのものという意)の一種の解釈であります。

ところで平安末期に起った法然上人の浄土宗、鎌倉期の日蓮宗の日蓮聖人、浄土真宗の親鸞聖人、いずれもさとり不必要論者であります。