Japanische Klassiker mit Furigana
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ぶっきょうじんせいとくほん
仏教人生読本
岡本 かの子
Lesen Sie 仏教人生読本 (ぶっきょうじんせいとくほん) von 岡本 かの子 (おかもとかのこ) auf Japanisch mit Furigana. JLPT N2. Tippen Sie auf ein Wort für die Bedeutung.
N2 · Fortgeschritten · moderne Kanji und Kana · 124.886 Zeichen · 246 Bildschirme
第一六課 誤解された時
従って自然においては、いくらかの鰊の生のために他の何万粒の犠牲は無駄どころか当然なかるべからざる用意なのであります。故に、自然は、その何万粒のどれにも厚薄のない同等の念を入れて世に送るのであります。それを無駄と考えるのは人間の頭であります。ここに自然の考えと、人間の考えとのスケールの大きさが違うのであります」
もう青年は、これ以上聴く必要はありませんでした。無駄をしまいしまいという考えは却って無駄をすることになるのだ。それはちょうど生きるだけの鰊の数しか数の子の粒を用意しないようなものだ。孵らないにきまっている。その中に無駄のあることを予想してかかる仕事こそ、却ってその無駄を意義あらしめる結果になるのだ。自然が何万粒の数の子を、いくらかの鰊として予算するようなものだ。そう考え付いた青年は、腕組みして、強い息を吐きながら、折りしも点きかけた町のネオンサインの旋廻を眺めながら言いました。
「僕も、無駄を平気でやれるような人間になろう」
第一六課 誤解された時
純理より言うときは、世の中に誤解のないものはありません。どんな気心を知り合った人間同志の間柄でも、互いの性質が違い、年齢が違い、教養が違い、その時々の気分や頭の調子に変化のある以上、そう一つことを二人の人が全く同じように了解し合うということは不可能であり