Classiques japonais avec furigana
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
Lisez 下谷叢話 (したやそうわ) de 永井 荷風 (ながいかふう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 122 971 caractères · 246 écrans
康爵は奥州棚倉の城主松平周防守康英の隠居で号を誠園という。明治元年五月に五十九歳で没したから、文久二年には五十三である。この日冬至の讌集は推測するに築地鉄砲洲の中屋敷に開かれたのであろう。枕山が席上分韻の律詩に「坐看短景疾於帆。」〔坐シテ看ル短景ノ帆ヨリ疾キヲ〕の語がある。
十一月二十三日毅堂の長女友が夭死した。谷中三崎の天竜院に葬られて玉梢童女と法諡をつけられた。十二月十三日に鷲津蓉裳が尾張の家にあって丹羽郡西大海道村の豪農鈴木藤蔵の五女ぶんを娶った。蓉裳時に三十、ぶんは僅に十三であった。
毅堂はこの年某月背部に悪性の腫物疽を発して病褥に就いたので黒田家の扶持を辞した。致仕の作に「晴窓一枕日高眠。無復栄華到夢辺。退位唯当称菩薩。避嫌何必学神仙。」〔晴窓一枕日高クシテ眠リ/復栄華夢辺ニ到ル無シ/退位唯当ニ菩薩ヲ称スベシ/避嫌何ゾ必ズシモ神仙ヲ学バンヤ〕といってある。碑文には藩政改革について意見書を上ったが用いられなかったために致仕したものとなしている。その文に曰く「文久壬戌。上書シテ藩政ヲ論ズ。報ゼラレズ。遂ニ致仕ス。ナホ待ツニ賓師ノ礼ヲ以テシ三口糧ヲセラル。