Classiques japonais avec furigana
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
Lisez 下谷叢話 (したやそうわ) de 永井 荷風 (ながいかふう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 122 971 caractères · 246 écrans
第三十二
第三十二
文久三年癸亥には枕山四十六、毅堂は三十九歳である。
五月三日、枕山は上野寛永寺の僧光映が南部に赴くのを送るがため書家高斎単山らと倶に千住駅の某楼に別宴を張った。光映は俗姓赤松氏、字は曇覚、号を棘樹また一如庵という。豊後国東郡中村の人。弘化元年九月大阿闍梨に同五年五月大僧都に進み、文久元年十月より輪王寺の宮の昵近に加えられ清浄林院と号せられた。光映は明治元年五月十五日上野戦争の際輪王寺の宮に供奉して上野を逃れ三河島尾久村に潜み、十七日市ヶ谷富久町の自証院に抵って暇を賜った。以上は森鴎外先生の「能久親王事蹟」に見えている。輪王寺の宮が文久年中詩を枕山について学ばれたこともまた同書に見る所である。
五月十六日遠山雲如が京師の寓居に没した。享年五十四。『雲如先生遺稿』には洛北愛宕郡浄善寺に葬るとしてあるが、『平安名家墓所一覧』には寺町今出川上ル上善寺としてあるそうである。雲如、名は澹、祐斎と号しまた雲如山人と称した。本姓は小倉氏、故あって母姓遠山氏を冒した。父大輔は越中の人。江戸に来って資産をつくった。雲如は大輔の三男。文化七年庚午の歳に生れ詩を大窪詩仏、菊池五山に学び、十六歳にして『寰内奇詠』