Classiques japonais avec furigana
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
Lisez 下谷叢話 (したやそうわ) de 永井 荷風 (ながいかふう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 122 971 caractères · 246 écrans
第四十三
翌年明治二十四年六月二十九日に次男俊三郎が没した。享年二十六である。俊三郎は医科大学予備門の生徒であったが心臓を病んで久しく廃学していたのである。いずれも谷中墓地先塋の側に葬られた。
第四十三
明治十五年の秋鷲津毅堂の没した頃から大沼枕山は既に中風症に罹って歩行もどうかすると意の如くでないことがあった。明治二十二年己丑十一月森春濤の葬儀が日暮里村の経王寺に営まれた時枕山はその女かねに手を引かれて往ったほどで、耳目も漸く官を失おうとしていた。
明治二十三年庚寅の春、あたかも上野公園に第三回内国勧業博覧会の開始せられようとする頃、枕山は仲御徒町三枚橋の旧宅を売払って下谷花園町十五番地暗闇阪に転居した。その年神戸の人西川久吉の次男善次郎をして家を継がせ長女かねを娶せた。かねは芳樹と号して詩を父に学んだ。義子善次郎、字は某、鶴林と号し、後に『枕山先生詩話』その他の書を著した。
明治二十四年十月一日枕山は暗闇阪の新居に没した。享年七十四である。谷中瑞輪寺に葬り法名を昇仙院枕山日游居士となされた。中根香亭は鷲津毅堂に対してはその死後に至るもなお好意を持っていないように見えたが、枕山に対しては常に敬慕の念を抱いていたと見え、その訃を聞いた当時の書簡に、「如貴命、枕山翁易簀、誠に惜しき事致候。