Classiques japonais avec furigana
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
Lisez 下谷叢話 (したやそうわ) de 永井 荷風 (ながいかふう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 122 971 caractères · 246 écrans
ス。」としてある。
毅堂が東京を発したのは九月二十一日である。これより先、八月中秋の夕毅堂は二、三の門生を伴って墨田川に舟を泛べたことが、わたくしの先考永井禾原の旧稿に見えている。その題言に曰く「中秋鷲津先生及村上久保田両兄ト同ジク舟ヲ墨水ニ泛ブ。陰雲惨憺終ニ月ヲ観ズ。」
村上は安政の頃より毅堂に師事した小田原の藩士で、名は珍休、字は季慶、号を函峰という。あたかもこの年甲府徽典館の教授となった。久保田は登米県大属久保田藤助であるがその人物は詳でない。
わたくしは茲に先考永井禾原のことを書添えて置きたい。先考は毅堂の門生であったのみならず、またこの時詩を大沼枕山に学んでいたからである。先考名は匡温、通称は久一郎、字は伯良また耐甫。号を禾原といい後に来青ともいった。嘉永五年壬子八月二日尾州愛知郡鳴尾村に生れた。その家は帯刀を許された豪農である。匡温の曾祖父に襲吉という人があった。星渚また※斎と号し、安永年間市川鶴鳴が尾州に流寓中これに従って学んだ。鶴鳴の江戸に没した時永井星渚は鶴鳴の男達斎の嘱を受けて墓碑銘を撰した。その石碑は今なお芝西ノ久保光明寺の後丘に残存している。