Classiques japonais avec furigana
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
Lisez 下谷叢話 (したやそうわ) de 永井 荷風 (ながいかふう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 122 971 caractères · 246 écrans
その始て江戸に来ったのは天保三年五月十九日である。湖山は麻布市兵衛町二丁目丹波谷という処に住した川崎麻渓という人の家に寄寓した。あたかもその時隣家なる同心中村武兵衛の家に小児が生れた。この小児は維新の後福沢諭吉と並び称せられた洋学者中村敬宇である。湖山の始めて星巌に謁したのはいつの時であったか明でない。
天保十一年の夏も過ぎて秋は早く郊墟に入り、上野の鐘声清夜の枕に徹する頃となるや、枕山は俄に筑波登山を思立って雨中に江戸を発した。湖山はこの行を送って、「莫道羊腸行路険。也勝百折世途難。」〔道フ莫カレ羊腸ノ行路険シク/也勝ル百折ノ世途ノ難キニト〕と言った。枕山は鬼怒川を渡り土浦の城下を過ぎて霞浦に出で雨を衝いて筑波に向った。「筑波山歌」七言古詩一篇が『枕山詩鈔』に載っている。途上の作には「在家愁食乏。離家愁親老。」〔家ニ在リテハ食ノ乏シキヲ愁ヒ/家ヲ離レテハ親ノ老イシヲ愁フ〕と言ってある。枕山の家にはまだ老いたる母が残っていた。
枕山は筑波山を下って真壁より更に加波雨曳の諸山を踰えて笠間の城下に赴いた。笠間の城主はこの時牧野角五郎貞勝である。枕山は笠間藩の儒者加藤有隣の家に宿泊すること二日ばかり、城内桜町にあった藩校時習館において藩の諸生と韻を分って詩を賦した。