Classici giapponesi con furigana
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イエスでん
イエス伝
矢内原 忠雄
Leggi イエス伝 (イエスでん) di 矢内原 忠雄 (やないはらただお) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 220.119 caratteri · 436 schermate
(五)
「わが神、わが神、何ぞ我を見棄て給いし」。いかに我を見棄て給うても、汝は依然としてわが神にいます。いかにわが神にいまし給うても、汝は断固として我を見棄て給うた。――これ以上悲痛な言葉が人の口から出たことは、前にも、あとにも、いまだかつてあらざるところであります。ヨブの叫びはこれに近いけれども、しかし神はヨブを罪人と認めて彼を罰し給うたのではありません。彼の義を顕揚し、彼の信仰を鍛錬する恩恵の処置であったのです。しかるにイエスの場合は、神が本当にイエスを罪人として罰し、敵として棄て給うたのです。しかもその義しさにおいてヨブに幾倍するやを知らず、否、質的に全く別人たる神の子イエスを、神は罪人として棄て給うたのです。何のため?
(五)
いよいよ絶命の期が迫りました。イエスは口中渇を覚えて、
われ渇く。(ヨハネ一九の二八)
と言い給うた。これは肉体的に咽喉が渇して、末期の水を求められたのであろうが、またそれだけでなく、
ああ神よ、鹿の渓水を慕い喘ぐがごとく、わが霊魂も汝を慕い喘ぐなり。わが霊魂は渇けるごとくに神を慕う、活ける神をぞ慕う。
と、詩編第四十二編の始めにある言を連想せられて、神の御顔を見たいという、たましいの渇きを表現せられたのであろう。