일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

処が例えば舟橋聖一氏などは、この具体的な事情に注目しないために、反ファシズム意識に較べてもっと手近かにあって刺激の多い反マルクス主義の方が高揚して来るのであるが、その限りでは氏の言論は確かに客観的に反動的な行為行動に出ているわけであって、大森義太郎氏などから可なり乱暴にタタキつけられるだけのものはあるのだと考えねばならぬ。この限り大森氏の一応の輪郭的な正当さを私は承認しなければならない。問題がこの段階に止まる限りではそうなのだ。

舟橋氏は、マルクス主義を舟橋氏なりに輪郭的に一般論的に排撃するが、之は大森氏によって見事に返報されているのである。と云う意味は、大森氏も亦、大森氏なりに(氏は「マルクス主義者」である)同様に輪郭的一般論的なマルクス主義によって、舟橋氏(大森氏の所謂船橋氏)の行動主義をコキ下しているのである。――一体大森氏によると、今日でもなおインテリゲンチャの問題は、しばらく前までこの方面でのマルクス主義的観点が占めていた一般論的輪郭的な問題提出の段階でしか、提出されないのである。知識階級という中間層は、ブルジョアジーとプロレタリアとの、いずれの側に同伴すべきであるか、ということがこの段階の問題の形であったので、大森氏は今日でもなお依然としてこの解決済みの問題形態の下に問題を蒸し返しているので