후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
そう考えて見ると映画は殆んど全くスポーツと同じ性質を、この点では持っているわけで、現今スポーツとキネマとが並べられるのは甚だ尤もなことでなくてはならぬ。ステージ・ダンスは約束通り身体を動かすので、そしてこの約束は単純に身体や衣服の力学を参考にするだけだからそれ以上のリアリティーはない。処が、スポーツになると情況、チャンスなどのリアリティーが這入って来るのであるが、丁度その程度のリアリティーを映画の中心である動作はこの場合有っている。チャンバラが人気あるのも、必ずしも封建的イデオロギーや何かが直接原因ではなくて、直接には却って夫が映画の一種のスポーツ性に該当しているからなのだ。
併し野球の勝敗に実際は何等の社会的意義がないように(早稲田が勝とうが慶応が勝とうがこの社会の階級対立がどうなるというのか)、映画の今いった限りの動作のスポーツ味が有っているリアリティーには、何等の社会的リアリティーもない。だから時代離れのしたチャンバラでも結構面白く見られるわけであって、之は外国の女優や男の俳優の動作に見られる単純な美しさや単純なキビの好さと、その本質を異にするものではない。